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真の独立国家建設のため いまこそ自主憲法制定へ

「市政」1997年7月号所収

(一)
 五月二十三日、衆参両院議員が三百人以上集まって、憲法問題に取り組もうという「憲法調査委員会設置推進議員連盟」を結成し、衆参両院に「憲法問題常任委員会」を設けるというのだ。集まった連中には、自主憲法派もいれば護憲議員もいる。自民・新進・太陽・民主の各党の中がそうだからだ。その人たちが国会で議論しようというのであるから結構なことだ。国家の基本問題について漸く芽(目)が覚めたとか、いささかおそきに失した感があるにしてもよい。今国会中に常任委員会を設置して早速議論してほしい。

(二)
 昭和三十二年(1957年)八月十三日に岸内閣におかれた「憲法調査会」の第一回会合があった。会長、高柳賢三、自民党十七人、緑風会二人、学識経験者十七人が参加、社、共両党は今回と同様、不参加、調査会は約七年間審議をして昭和三十九年(1964年)七月二日に最終報告書を内閣と国会に提出して解散した。最終報告書は結論を出さなかったが、改憲論三十一人、改憲不要論七人の両論併記であった。三十三年前のことだ。当時の池田勇人首相は「経済はおまかせ下さい」の一点張りであったため、国家の基本問題に全くといっていいほど関心も示さず、報告書は首相官邸の奥にしまわれたまま。いまはほこりだらけになってることだろう。国会への報告書もどこかでほこりまみれだろう。当時の調査会委員で現存しているのは元首相中曽根康弘氏唯一人、私は毎日新聞の政治部デスクとして、憲法問題に非常な関心を寄せ、議論を見守っていた。しかも私自身は、昭和二十一年二月十三日、占領軍から押しつけられた憲法を読んで以来の、改正論者である。非改正論の七人に就いては、日本人としての資質に疑問を抱かざるを得なかった。たしか、岸信介首相と大学時代一、二を争った憲法学者の宮沢俊義氏も改正反対論者だったように記憶している。
 とにかく、当時は〝経済、経済〞で憲法論議をする議員は少なかった。せっかくの調査会は何だったのかとがっかりしたものだ。

(三)
 昭和三十五年(1960年)六月十九日、改訂安保条約は成立、安保改定記念式典に当時のアイゼンハウァー米大統領を招待する予定であったが、安保反対のデモが激しく、岸首相は同大統領の来日を断った。そのことを謝るため同氏は首相退陣後、アイゼンハウァー前大統領を米国に訪ねた。冷戦の激しい時代であった。同前大統領は岸氏に対し、「ソ連の脅威があるのに、日本は何故軍備を強化しないのか」と詰問した。これに対し岸氏は「軍備を強化しようにも占領軍が押しつけた憲法が邪魔して困っている」と答えたところ、同前大統領は「あんなバカな憲法をまだ持っているのか」とあきれ顔で言ったそうだ。岸元首相と親しかった私は生前同氏からこの〝秘話〞を何度も聞いたのでよく覚えている。岸元首相がアイゼンハウァー前大統領に会ったのは昭和三十六年(1961年)頃だったと思う。
 私はその〝秘話〞を聞いた時、〝日米安保条約は片務性、こんな日米関係では日本の将来は思いやられる〞とアメリカ人は思うのではないか心配したものだ。いずれアメリカが日本に不信を持つだろうという不安感は、岸氏の話を聞いて以来、今日もまだ続いている。

(四)
 従って漸く憲法論議が高まってきたかのようにみられる今日、国会議員をはじめとして国民的論議を巻き起こさねばと考える。この時期を逸すると、日本は永遠に真の独立国にはなれない。幸い二十代、三十代に改正機運が強いことは喜ばしいが、男性より1000万人ほど多い女性の有権者が、その気になることが大事なことだと思う。
 現憲法には根本的欠陥がある。それもそのはずである。米占領軍の対日政策の目的は日本が再び独立国家とならぬようにするためであった。そのためには軍備を持たぬ国家にする。第九条はそれである。占領軍の原案は〝日本は一切の軍隊を持たぬ〞というものであった。これでは困るというので現在のように〝自衛権だけはある〞と解釈されるものに改められた。
 しかし現在の第九条ではとても国の独立は保持できない、日本人はこの第九条にすがったため、国防意識を忘れてしまった。日本の安全は米国が護ってくれるものと思いこんでしまった。
 ところが、モンデール前駐日米国大使は「尖閣諸島に第三国が攻めてきても、米国は日本を守らない。日米安保条約は発動しない」と発言した。そうなると日本は独自で自国を護らねばならない。日本領土に第三国が攻めてきた時は、国権を発動して交戦せねばならぬが、第九条では交戦権は認められていない。しかも相手が発砲したら自衛隊は発砲したらよいなどということでは、完全に日本はノックアウトされる。いまこそ日本はアイゼンハウァー元大統領の言った「こんなバカな憲法」を捨てて日本人による日本のためのしかも集団的自衛権を執行できる世界平和に貢献できる憲法を作ることが大切だ。