最終更新日 2006年10月3日
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「解答乱麻」
産経新聞(2006年9月18日付)

『 全ての大人が手本に 』

 休日の文化施設でのあるひとこま。2歳くらいの女の子が、展示物に飽きたのか、突然ぐずりだし、通路で大の字になった。他の客に迷惑がかからないよう、親はすぐさま子供を抱きかかえその場を離れるのかと思いきや、バッグの中からカメラを取り出し、ぐずる様子を撮影し始めた。
 そう広くない通路に当然のことながら行列ができ、ぐずる子供に手こずる親に対する同情もなく、ひたすら、その親子に冷たい視線が注がれていた。もちろん、当人たちはそんなことはお構いなし。両親ともども、「○○ちゃ〜ん、そんな格好してぇ」と幼少期の“記念”にその姿をカメラに収めようと必死であった。
 その親子連れは、その後も、「順路」を逆行し、そのために立ち止まらなくてはならない人が出てきても、大手を振って歩いていく場面を何度も見かけた。まさに“絵に描いたような”公共マナーやルールを逸脱した親子連れである。
 自分の目で確かめたことはないが、乳幼児をベビーカーに乗せて居酒屋に集まる母親や、運動会の昼食に学校の校庭からピザやそばの出前を取る親など、「どこにでもいるわよ」と母親仲間の友人は言う。品川区でも「コンビニの前では座り込まないなどの“しつけ”をしっかりとしてほしい」などと学校へ要求する親もいる。これらはすべて、今問題となっている「家庭の教育力の低下」の典型的な例であろう。
 一方、片手に荷物でいっぱいのベビーカー、もう片方で子供の手を引き、常に「手一杯」の母親に、日本人は本当に冷たい。エレベーターの乗り降り、建物の出入りで、四苦八苦していても、われ先にと過ぎ去る人たちがほとんどだ。マンションの掲示板には、「子供の走り回る足音への苦情が出ています」という注意書きが張られ、肩身の狭い思いをしながら暮らしている母親も多いことも事実である。
 家庭の教育力や地域の教育力の低下を危惧する声は日増しに大きくなっている。先日出席した小泉内閣最後の「教育改革タウンミーティング」でも、私が委員を務める「教員給与の在り方に関するワーキンググループ」でも、やや本題を外れながらも、「何とかならないものか」という意見が出されている。
 子供の好奇心を尊重すれば、多少の騒々しさは覚悟しなければならないが、好奇心や自主性を言い訳に、野放しにしてよい訳はなく、ある程度の聞き分けができる時期に達してからは、常にけじめを意識しながら子供と接することが重要である。その一番の責任者が親であることは言うまでもないが、けじめを教えるのは、子供の目に映るすべての大人たちである。
 社会の基本であるあいさつ、弱い者、困っている者への思いやりの気持ちや何かをしてもらったときの感謝の気持ちの表し方など、自ら実践することが子供たちへの教育になる。“最近の親たち”に問題が多々あることは事実だが、当事者意識の薄い大人たちが、本当に子供の良い手本となっているのだろうか。


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