規範二の次でホリエモン黙認
「名は体を現す」ではないが、身なりや話し方、服装などから、その人の人間性や社会人としての成熟度が読み取れることが多々ある。ホリエモンこと、堀江貴文容疑者はその最たる例であると、私は同容疑者が注目され始めた時から思っていた。記者会見の場で、他の全てのメンバーがスーツを着ている席でも、平気でTシャツ姿でその場に臨む神経は、やはりとても常識人とは思えなかった。また社会人としても失格であると思ってきた。「時代の籠児」や、新しい感覚を持っているなどと、よく言えば個性的、悪く言えば非常識な立ち振る舞いや言動を、あたかも今の時代感覚のごとくもてはやした人々が多かったが、私はこの一件を見ただけでも、“常識的な”大人たちは彼に何か“怪しさ”を感じなくてはならなかったはずだと思う。しかし実際にはその“怪しさ”が決定的になるまで、世間は事実上黙認してきた。政権党である自民党は、党を挙げ、彼の衆院選出馬をバックアップした。これはまた常識的な大人たちの問題として、しっかり考えなくてはいけない。
新年度が始まるこの時期に、常識的な、成熟した社会人とは何かを考えてみると、それにはいくつもの要素があると改めて気付かされるが、中でも最近特に気になるのが、「発言の重み」と「けじめ」についてである。特に政治家をはじめとする地位ある人たちに、その点が欠けていることが目につくのは、私だけだろうか。
そもそも、ヤジや居眠りが常態化しているともいえる国会に、権威や品格を求めることすら無理なことかもしれないが、国会議員の言動や行動は、どの社会人よりも格が上で、世の模範とならなければならない。言い換えれば、そうでない人間は、国会議員になどなるべきではない。
公募議員の軽さは政党に問題
偽造メール問題での民主党・永田寿康議員のとった行動は、どれをとっても納得できないものがあったが、国会議員の“軽さ”は彼だけに存在するのではない。“鳴り物入り”で国政の舞台に登場した小泉チルドレンの面々も、見るに耐えない、聞くに堪えない“軽さ”が存在して、甚だ不愉快である。例えば、委員会に遅刻をする大臣など、前代未聞であろう。大臣は、時計を見る暇もないほど忙しかったのだろうと同情したとしても、秘書官が時計代わりとなればいい。それさえもできないとすれば、時刻を伝えることもできないほど、大臣と秘書官との信頼関係がないのかもしれない。
郵政民営化の是非を問う選挙だと言って出馬したはずなのに、当選後の「郵政民営化」の勉強会で、一回(の勉強)ではまだよくわからないなどと発言していた料理研究家出身の議員も、自分の立場を自覚しているのだろうか。委員会を抜け出して小泉総理に婚約の報告に行った杉村太蔵議員など、自分は何を尊重しなければならないのか、判断力もないようである。同氏のブログは国会議員のブログの中でも結構な人気だそうなのだが、「膨大な調査資料を頭に叩き込む作業が待っております。決してやりたいことではないが、やらなければ食っていけない、食べるためには働かねばならない」(2006年3月10日付)という記述には首を傾げてしまう。ありのまま、自然体といえば聞こえはいいが、そうか、杉村議員は、食べるために国会議員になったのか・・・と思わずにはいられない件だ。もちろん、本音では食べるためであってもいいと思う。しかし苟も国民の代表として、国民のために働かなければならない身であることを自覚すれば、いつも公に対して本音を言っていればいいということではないはずだ。そのけじめが同氏にはあまりに欠けていて、こんな人が自分が納めた税金から給料を支払っているのが、いい加減耐えられなくなってきた。
世襲議員が多く、法の規定とは裏腹に、政治家になる機会が広く一般に開かれていないことから、最近は世襲が基本と思われる自民党ですら公募を行って候補者を擁護するようになった。かつてからは信じられないほどの変化である。公募を行うことで、年齢と国籍のみの被選挙権の条件から一歩も二歩も踏み込んだ条件をクリアした候補者ばかりが決まればいいのだが、それには見極める党の幹部の能力こそが問われることになる。
気をつけるべき風潮への迎合 政治家をはじめ、公職にある人、企業経営者などは、常に自分の言動や行動が周囲に、社会全体にどういう影響を及ぼすかを心しながら毎日を過ごさなくてはいけないだろう。政治の世界でも、おふざけが行き過ぎたテレビ番組や、あくまでも個人の日記という扱いであるブログの急増により、「なんでもあり」の風潮が益々強くなっているが、そんな時だからこそ、軽々しく本音を吐露するより、強がりでもいいから、プライドを見せて欲しいと思う。堀江容疑者が、ライブドアに強制捜査が入ったことにより、東証のシステムがダウンしたことを受け、自分たちは(システムダウンしたことに)何も責任がないという旨、発言していた。自分たちに何かがあれば、これだけ広く社会に迷惑をかけるという自覚もないような人間に、経営者としての資格はなく、その人が政治家にならなくてよかったと改めて痛感する。しかし、彼を応援した政権党の責任は、まだ清算されていない。 |