政治が切り捨て劇でいいのか
(財)日本漢字能力検定協会が毎年、その年を表す世相漢字として公募する「今年の漢字」に、2005年は「愛」が選ばれた。世界規模の愛を感じる出来事や、愛が足りずに起きてしまった事件の多発などが、決定の理由だそうだ。しかし、この字を選び応募した人たちの心の奥は、むしろ愛の必要性を強く望む気持ちが秘められているように思う。私自身も、今年の世相漢字に「愛」が選ばれたことには、何か心寂しい思いがしてならない。愛に満ち溢れた幸せな一年というより、「愛」の欠乏のために、不信感ばかりの人間関係が日本社会に充満しているように思えてならないからだ。
その最たる例は、「小泉劇場」だった。「小泉劇場」の演目に、「愛」というテーマはなかった。自分の意にそぐわないものは、容赦なく切り捨てる小泉総理の手法は、わかりやすいという利点よりも、恐怖感の方がはるかに大きかった。たった一つの政策についてのみを判断基準とし、それ以外は一切考慮しない「冷たさ」は、日本独特の「なあなあ文化」や馴れ合いを打破するためには必要なときもあるかもしれない。しかし、政治家は、有権者の意思を託される存在である。トップリーダーは、一人ひとりの政治家が背負っている有権者の意思にも思いを致さなくてはならないのだ。それには「愛」が必要なのである。
自分の意にそぐわなければ、“刺客”を放って、徹底的に潰しにかかる―日本のトップリーダーの権力者としての怖さを感じたのは、私だけではないだろう。
愛の欠乏で不安定になる社会
企業同士も食うか食われるかの真剣勝負があちらこちらで行われた一年だった。資本主義社会では、株式保有者、つまり株主の存在は大きい。しかし、それが全てではないはずである。「会社は株主のもの」と豪語する投資家の論理には、やはり「愛」が欠如していると思えてならない。
会社は株主のもの、でもある。そこで働く社員のもの、でもある。また個々の社員が抱える家族のもの、でもある。会社は、少しでも利益を上げ、投資してくれている株主に、それこそ「一円でも多く」利益を還元する責務を負っていることは事実である。しかし、株主の期待だけ応えていればいいのだろうか。会社は、そこで働く社員があってこそ成り立っている組織でもある。今の時代、会社に身をささげるという感覚をもった社員は少なくなっているとはいっても、社員でも会社での勤労を通じて自分の生活を守っていると考えれば、会社のために働くと思わずにいられない瞬間も、少なからずあるはずだ。会社と社員は、同じ方向を目指す共同体であり、もっとも重要な目的は、家族の人生を守ることにあるのではないだろうか。
「会社は株主のもの」とだけ考えれば、そこに「愛」は必要ないだろう。しかし、社員とその家族の運命を背負うと考えれば、「愛」こそ必要である。
幼い命が無抵抗のまま奪われた事件が多発した一年だった。限りない可能性を秘めた幼子の命が絶たれることに、胸を痛めない人はいないだろう。子供の安全確保のためには、いまや国を挙げての政策が必要なほど、日本の社会は不安定となってしまった。いつから日本はこんなに危ない国になってしまったのかとその原因究明は必要だが、私たち大人は、総出で子供の命を守っていかなければならない。
同時に、子供の未来を守るのも、大人の責任である。「愛」のない小泉政権には、結局ほとんど手をつけることができなかったのが、教育問題である。小泉内閣は、教育問題を財源問題にすり替えてしまった。しかし、教育問題は、政策的な責任ばかりを求めるのは間違いではないだろうか。ふと、自分自身の親としてのあり方を考えてみれば、誰でも反省すべきことが多々あるはずである。
世直しを親の育児から始めよ
ここ数年、少子化対策、男女共同参画社会の実現という名のもと、保育園の待機児童ゼロ作戦が繰り広げられてきた。保育園の受け入れ児童を、2004年から五年間で約十二万人増やすというのも、一つの具体的施策である。確かに、出産の高齢化は、母親が社会に関わってきた年数が長いということでもあり、出産を機に、全く社会との接点がなくなってしまうということは、女性の生き方としてなかなか受け入れられなくなっており、その意味でも、保育園が充実することによって、社会に関わる道が残されると思えば、有効な施策といえるのかもしれない。またその必要性のある人がいることも事実である。
しかし、子供は生まれてきた瞬間、まさに原石であり、周囲の環境により、いかようにでも変化する存在である。中でも親が一義的に、その原石を磨く責任を負っていることは言うまでもない。そう考えると、育児と母親のキャリアを両天秤にかけることは、本来あってはならないことなのだ。教育問題の解決は、国の施策よりも親の自覚によって、一歩が踏み出される。親が自分の都合ばかりを優先しようとするのではなく、子供第一に考えるという当たり前のことができるようになって初めて、日本は「愛」で満ち溢れた国になるのかもしれない。そして政治も経済も、相手の立場に立った立ち振る舞いを求めたい。 |