| 今回の選挙では、いつも以上に朝から晩まで走り回ったので、さぞ体型もスリムになっているだろうと期待して体重計に乗ったのに、一キロも減っていなかった。ちょっとがっかりでしたね。その理由は多分“食べ過ぎ”。選挙中、行く先々でおにぎりやら何やら、食べるものを用意して頂くので、有難いことだからつい全部食べてしまう。ただそのお陰で、スタッフたちはヘトヘトで、選挙中、交代で点滴をうったりしていましたが、僕はフラフラになることもなく、全く大丈夫でした。
今の時代は、食べきれないほどの食糧があるのに、僕の幼少の頃は、まさに戦時中ということもあって、毎日ふかした薩摩芋ばかり。不思議なことに、農村地帯の(石川県)根上町(現・能美市)でも食べるものがなかったんです。働き手がなかったのでしょうか。たまにお米があると、“おぞんべ”という、いわゆるおじやに、薩摩芋や大根を入れて煮るご飯を食べました。あとは、イナゴを炙って食べたりもしましたね。
当時、家でニワトリをたくさん飼っていて、時々タマゴを産むと、まずは祖父が食べる。二個以上産んだ時は、自分たちのところへ回ってくるんです。そうすると、母が、タマゴをお椀に割ってお醤油を入れて、それを一つ上の姉と四つ下の弟の兄弟三人に均等に分けてくれました。わずかなタマゴがお椀に残ると、ご飯を少し入れて絡ませ、それをまた三等分する。母親のこの姿を思い出してみると、すごいな・・・・・・と思いますね。自分も食べたかったと思うのに、我慢をして子供を守るという、母親の強さがありました。
そのタマゴ、もっと食べたいと思っても、なかなか食べられない。それが長じてか、今はすき焼きを食べる時は最初からタマゴを二つ使って、肉や野菜にたっぷりのタマゴを絡ませて食べるのが好きですね。
また、時々バナナの配給もあって、みんな並んでやっと一家に一本、もらえるんです。それも母がまた三等分しましたが、勿体無くてなかなか食べられない。何ともいえないいい匂いがして、なめたり握ったり、真っ黒になるまで眺めてから、やっと食べた記憶があります。
母親は、僕が小学校一年生のとき、父が出征中で留守の間にガンでなくなりました。終戦後、家に戻り、母の遺影の前で、肩を小刻みに震わせていた父の後姿を覚えています。
まだ三十歳にもならない若い命で、タマゴやバナナを食べて栄養をつけなければならない状況だったのに、自分を犠牲にしながら子供を守るという母の強さと優しさ。当時の母親はみんなそうだったのでしょうけれど、数少ない母の記憶と愛情を身にしみて感じます。
(取材・構成 細川珠生) |