|
私が育った石巻(宮城県)では、食といえば海産物が全て。朝起きると軒先に漁師さんがその日獲れたばかりの魚を置いておいてくれるような風土の町でした。魚だけでなく、三陸の水産物であるアワビ、ウニ、ホヤ、ナマコなどが豊富に獲れるところで、他に何もおかずがなくても、これでご飯を食べるというのが普通でした。子供の頃に肉を食べた記憶がないくらい、近海で獲れる魚は全て食べつくしたのではないかと思っています。お陰で、今では刺身を食べれば何の魚か一発でわかります。魚の脂の乗り具合や、春やらサヨリ、初夏から夏にかけては初ガツオというような季節感も味わえて、まさに私にとっては魚は生活そのものでした。
そのお陰かどうか、塩辛の通になってしまって・・・・・・。小学校に上がる前から食べていたんです。酒は嗜む程度も飲めないのに、塩辛は海外に行く時も持っていってパンにぬって食べるというほどの好物。タコやカツオの塩辛も本当に美味しい。大体近所の人が作ってくれていましたが、漁師の作る塩辛は、やはりなかなか個性的でした。私の五歳の子供も、幼稚園に塩辛を持っていっているようなんです。家系的には高血圧ですね。
それと、いつも我家の食卓を飾っていたのは、実は鯨なんです。石巻の鮎川港は鯨の三大水揚げ地の一つで、鯨を隅からから隅まで使って商品にし、生計を立ててている人が多いという町でした。
鯨が揚がると、解体する時に発生する脂の臭いが町中に充満して、学校にいてもわかるんです。解体には三、四時間かかりますから、学校が終わると港に急いで、その解体現場を見ていました。そうすると知っているおじさんが、一、二キロの肉をポンポン放り投げてくれるんです。
しかしのその解体現場は凄惨ですよ。切った臓物から小魚がいっぱいでてきたり、母親の鯨をさばいたら、子鯨が出てきたり、決して綺麗ごとではない。人間が食べていくというのは、完成されたものが食卓に置かれているのではなくて、殺して解体して初めて、人間のエゴが達成されるわけなんです。自分たちが生きていくために死んでいくものがある。これは鯨から教えられたことでした。そうやって殺された鯨には、畏敬の念があったし、自然と手を合わせて食べるという気持ちになるんですね。もちろん、残すなんていうことは絶対にしません。
今は、魚の原型を知らず、スーパーで切り身になってパックに入っている姿しか見たことがない子供たちが増えていますが、鯨の解体現場を見せることで、生きているものを殺して食べ、人間は生きているんだといるんだということを学ばせることが重要ではないかと思っています。
(取材・構成 細川珠生) |