最終更新日 2005年10月2日
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「食卓の記憶」58 舛添要一
(「週刊文春」2005年3月10日号)

『お金がないからフグ鍋』

 私には、四歳の娘と一歳の息子がいるので、夜もよほどのことが無い限り、外食はせず、家で食事をするようにしています。
  というのも、私の育った家は、親父が自営業でしたから、必ず家で夕食をとっていたのです。食料品屋をやっていたので、戦後の物資が不足している時代にあっても、食べ物は意外と豊富。時に、当時高級品だったバナナなど、多少傷んでいるものの寄せ集めでしたが、食べ放題。親類も、バナナ目当てによく遊びにきていたくらいでした。
 家での食事は、親父が座らないと始まらない。きちんと正座をして「いただきます」といってから食べ始めますが、食事中は会話も一歳ダメ。しつけが厳しかったので、子供心にあまり楽しくなく、食べ終わるとさっさと自分の部屋に行ってしまうというような食卓でしたが、鍋のときだけは、会話もあるし、正座をしていたら食べられないので、マナーを崩してもいい、唯一の機会でした。それが今でも楽しかったとよく思い出されます。
 フグ鍋か鶏の水炊きであることがほとんどでした。これ、誰に話しても「イヤ味だ」と言われるのですが、私の育った北九州はフグの産地である下関がすぐそばで、当時は、貧しい家庭ほどフグをよく食べていたんです。今ほど規制も厳しくなく、魚屋さんで普通に売っていました。それを一匹買ってきて、刺身や、から揚げにしたり、フグちりにしたり・・・・・・。「今日は寒くて、お金がないからフグ鍋にしよう」・・・・・・そんな感じだったのです。冬は週に一回ぐらい食べていました。
 それが今では外でフグを食べようと思うと、何万もかかる。なかなか簡単に食べられないので、フラストレーションがたまりますね。買ってきたフグは親父が三枚におろし、調理は母がやっていました。魚を下ろすことや、生きている鶏を捕らえて裁くことも、男の役目だったのです。中学生ぐらいになったら、鶏ぐらいさばけないといけないといわれていましたから、魚も同じように、親父がやっているのを見ながら覚えました。
 それがフランスに行った時に大いに役立ち、日本料理を作らないといけないようなときには、魚の舟盛りをつくったりしましたね。
 二十代のほとんどを過ごしたフランスでは、毎週日曜日になると、家族、それも車で片道二時間ぐらいかかるような所に住んでいる親戚まで集合してテーブルを囲みます。子供時代はもちろん夕食は親父と必ず一緒でしたし、家族が揃わない食卓というのは私には、原体験としてない。晩ご飯を家で食べられないいうのがすごく苦痛なんです。ただ親父と違って、私は子供に甘く、もう少ししつけをきちんとしないとと、最近、少し反省しています。
  (取材・構成  細川珠生)


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