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私は「人生は麺類だ!」と断言するくらい、麺類が好き。一応、“小池さん“なので、ラーメンも好きですよ(笑)。中でも、きつねうどんが私の好物。まさに食の原点です。
子供のころ、日曜日のお昼といえば必ずきつねうどん。これにご飯が少し付いていました。父がよく、「松下幸之助はナァ、どんなに大金持ちになっても、昼はきつねうどんとご飯だけや」と言っていたんです。ご飯は、うどんを食べ終わった後の汁に入れて食べるという、いわゆる“猫飯”のようなもの。松下幸之助もそうやって食べていたと、父がまるで見てきたかのように言っていました。
きつねうどんは母が作るときと、芦屋駅前の「たこ好(よし)」といううどん店から出前をとるときとありましたが、私はこの「たこ好」のほうが好きだったんです。コクのあるお出汁といい、斜めに切った青ねぎといい、ここのきつねうどんの味が、私の味のベースになっています。今でも芦屋に行くと、このお店に寄りますが、レジの奥の家族が食べるところにあがって食べさせてもらっています。
エジプトのカイロ大学に留学中は、小麦粉を練って自分で麺をつくりました。当時は日本の食材が簡単には手に入らない状況でしたが、毎日、油っこいエジプト料理を食べるわけにもいかず、もう食べたい一心で。誰かに教えてもらったのではなく、全て自ら編み出した方法で、最初はなかなか上手くいかない。水加減がわからず、どんどん膨らんで量ばかり増えてしまったり、卵の入れ方の違いで、びらびらの若布のようになってしまったり・・・・・・。最初は太さもばらばらで不揃いでしたが、何度も作るうちに上手になっていきました。結局、壁に投げつけて打つ方法が一番いいことに気づいたので、そうやって作っていましたね。
お揚げも、自分で作りました。ハウスの本豆腐という即席手作り豆腐を使って豆腐をつくり、トイレットペーパーにはさんで水切りをして、辞書を重石に水抜きをする。それを揚げてきつねうどんのお揚げにしていたんです。本だしや醤油は、家庭教師をしていた在留邦人のご家庭から分けてもらって、一滴一滴大事に使っていました。
うどんの麺を作るときは、ついでに同じ生地で、餃子の皮とピザの生地を作っていました。ただアパートには冷蔵庫が無かったので、保存ができず、作ったらすぐに食べるという感じでしたね。
エジプトに行ったころはお味噌汁すら作れなかった私ですが、異国でもきつねうどんを食べたい一心でゼロからの工夫をし、相当頑張ったと思います。子供のころ、何を食べていたかは、一生を左右するとつくづく思いましたね。
(取材・構成 細川珠生)
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