仕事柄、政治家に必要な資質とは何かをよく考える。「地盤・看板・カバン」などという表面的な条件ではない。
人望は厚いか、友人は多いか、礼儀正しいか、熱意を持っているかなど、人間の内面としての条件である。しかし、あれこれ条件を並べてみても、「この人なら」という“感覚”が判断材料である場合も多々ある。
最近気になるのは、世の中のことを理屈で解決しようとする場面が多いことだ。私自身も、「政治評論」を繰り広げるときは、数字を用いるなどして理論を展開すると、読者や聴衆に納得してもらいやすいことを実感する。数字や理論は客観的な視点として重要ではあるが、物事を考えるとき、“それだけ”でいいのだろうか。
例えば、来年の制度改正に向けて議論まっただ中の介護保険制度だが、政府の頭は相変わらず、負担と給付の額だけを考えている。給付が間に合わないから、負担を増やそうということで、それも保険料支払いの年齢を一気に二十年も早めようと考えたようだ。さすがに“非現実的”であることに気付いたのか、こちらは断念した。年金同様、数字合わせをすることが制度改正と考えているようだ。
介護というのは生活の中にあり、個々の要介護者には、個々の生活スタイルがある。家族構成も違えば、住宅事情も違う。もちろん公費で行なうサービスである以上、“きまり”は必要であるが、現行制度は、“きまり”による画一的なサービスの提供にとどまっており、要介護者になったとたん、その“きまり”に生活を当てはめなければならなくなるのだ。
制度改正をするなら、高齢者の余生をどう考えるのかという視点に立って行なうべきである。それは数字や理論で表現できることとは限らない。政治家が信念を持って訴えれば、数字や理論以上に説得力を持ち、国民も安心して老後を迎え、過ごすことができるはずである。
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