最終更新日 2005年9月22日
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「食卓の記憶」49 原口一博氏
(「週刊文春」2004年12月23日号)

『想い出のフナの昆布巻き』

 僕の故郷である佐賀市は、川の町。一潮で柿の葉一枚分の干潟が堆積するという日本一干満の差があるところなので、水との付き合いが生活の中に自然にあるというようなところでした。
 ここでは「川干(かわひ)」といって、流れをせき止めて川を干すという風習がありました。田んぼに水が入る前と、稲刈りの後に、川底にたまった汚泥を取り除くというものです。このときに、川底からフナなどの魚が大量に出現するのです。一面魚だらけといっていいくらい。日頃は釣ったり網で獲ったりするのに、このときは取り放題ですから、バケツを持って魚を獲りに行きました。
 稲刈りの後の初冬の頃には、獲ったフナで祖母が昆布巻きを作っていましたが、これがすごくうまかった。大きな鍋で、砂糖をたくさん使って何日も煮るので甘く、魚の臭みもまったくないんです。でも、祖母は倹約家だったので、よその家の昆布巻きと比べると、微妙に甘さが足りなかった気がします。母が作ると砂糖をふんだんに使うので、「味が違う」と祖母から怒られることもあったようでした。
 この昆布巻きの味は、山から吹き降ろす冷たい、寒い空気の感触と共に覚えていますが、同時に、“あ、でもなくなっていくんだ・・・”という寂しさを感じていたことも覚えています。
 「川干」は、僕が四、五歳のころまでは行われていましたが、その後はダムができ、用水路もコンクリートで固められてしまったので、「川干」の必要性もなくなってしまったんです。僕の中では、昆布巻きの味はふるさとの景色や空気と一体となったものなのに、この風習がなくなるとともにそれらもなくなっていくという寂しさを、子供ながらに感じていたのだろうと思います。
 今でもフナの昆布巻きは好物ですが、最近食べるものは、魚の持っている“生きる力”が違うように思います。
 また稲刈りの時期になると、山の方からたくさんの人がやってきて、みんなで稲刈りをした後、大きな農家が炊いたうどんを食べるんです。収穫したもち米でもちをついてそれを配ったり、みんなで汗をかいて、ひとつものを分け合うという文化があったような気がします。みんなで川を干せば、みんなで魚を獲るというような、原始の共同体の原型が残っていたように思います。
 今、振り返ってみると、ふるさとの風景は、全てが自然。食べること、生きること、働くことが自然に近かったように思います。今は地面を失ったような生活です。が、一面に乱れ咲くれんげの海、楠の葉からこぼれ落ちる月の光ー遠いふるさとの記憶が、生きることを思いおこさせてくれます。
  (取材・構成 細川珠生)


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