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八十五歳の父は、他の兄弟三人、既に他界している中で、病気一つせず元気。一度、どうしてそんなに元気なのと聞いてみてたら、結婚してからの家の食卓のおかげだと言っていました。
父は、和歌山で商売をやっていて、母もそれを手伝っていました。でも母はどんなに忙しい時も、食事の時間になると、その少し前には必ず台所に戻って家族の食事を作っていたんです。それも地の魚や海草など、獲れたての、いいものばかりを選んでいたんですね。
今、築地などで相当高い値段を出しても手に入らないようなものだったと思います。忙しい母が家族のために作る食事、家族で囲む食卓、そういう特別なことがない、毎日普通のことが続いていたというのが最高の贅沢だったと思うんです。父は何十年もそうやって母が作るものを食べてきたからこんなに元気なんだと言っていました。それを聞いて返す言葉がなかったのです。
私は三人兄弟の真ん中で、食べるのがとても遅かったようです。母によると二時間ぐらい掛けて食べていたとか。父も必ず一緒に囲んでいた食卓ですから、何か教訓めいたものを聞かされるというより、他愛もない話から、自然と身に付いていったことも多かった。今で言う、ケーススタディによる教育ですね。特に「人の振り見て我が振り直せ」というのは、父も母もよく言っていたことでした。
昔の家族というのは、漠然と、しかし共通した概念というか、定義があったと思うんです。それは「一つ屋根の下に住んで寝泊まりし、かつ一緒に食卓を囲む」というもの。昔はそれで“家族”だったんですね。それが、今の時代は、家族の生活時間が違ってみんなで一緒に食卓を囲むということがなくなってきている。
今、自分も夕食を家で食べることはほとんど、というより全くないですから、昔の家族の定義とは随分違ってきています。特にひどいのは昼食。大体、五分から十分でカレーライスを食べるということが多いんです。カレーライスは書類をめくりながら片手で、しかも強い味付けなのでたくさん食べられる。昔、銀行に就職した一年目の時に、総裁と食事をしたら、食べるのがあまりに早くてビックリしましたが、今は自分がそうなってしまった。大臣になる前も、家で夕食を食べることはほとんどありませんでしたが、こんなに早い食べ方ではなかったと思います。だから、大臣の任務が終わったら、毎日早く仕事を終えて、手作りで新鮮で温かいものを、時間を掛けて食ってやるぞ、と思っています。子供のころ、「平蔵、早く食べなさい。いつまでも片付かないじゃないの」と母親に怒られていたような、そういう食卓を回復したいと思っています。
(取材・構成 細川珠生)
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