最終更新日 2004年10月28日
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産経新聞2面(2004年10月3日)

『そのとき政治は』

 私が子供のころ、当然のように見てきた風景、それは父と息子のキャッチボール。ところが、最近は野球のできない男の子が意外にも多いという。
 「男のスポーツの基本は野球」と思ってきたが、日本人の心はすでに「野球離れ」なのだろうかと思いきや、そうではなかったようだ。
 今回の野球界の一騒動で、まだまだ人々の関心の高いことが証明された。野球ファンのみならず、日本人の多くが野球界の再起を願い、選手たちの行動を支持した。選手もファンも、目先のことより数年後、数十年後のために、「痛み」を受け入れた。
 今季のタイトルがかかっている選手もぐっとこらえ、末永い野球界の発展のために選手が一丸となって問題と向き合った姿は痛々しくも感じたが、その真剣な姿をファンは支持したのだ。
 その間、政界は凝りもせずカネの問題で揺れていた。しかしその始末の仕方を見ても政治不信を払拭しようという意欲が“まったく”感じられなかった。旧橋本派に献金された一億円は、受け取る場にいた人が「記憶にない」、つまり「(受け取ったかどうか)忘れた」ということですむことなのだろうか。もし一億という額が、忘れてしまうほどの額というのなら、政治はもっと大きな額のカネまみれということになる。
 もはやこの手の問題には、政治家も国民も鈍感になってしまったのかもしれない。しかし、数年後、数十年後の日本の発展を一番考えなければならない政治が、内向き思考に陥り、“とりあえず”の対処ですませて根源的な問題解決を怠れば、国民の政治不信がますます進む。それはもう何十年と繰り返されてきたことではないだろうか。
 目先のこと、自分のことだけを考えるのではなく、野球選手たちがやったように、当事者たる政治家が何をすべきかを真剣に考えなければ、国民は政治を支持することはできないのだ。


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