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私たちが子供の頃、8月15日の終戦記念日が近づくと、親から戦争体験の話を聞いたり、戦争にまつわるテレビ番組などを見たものだ。子供ながらに色々考えさせられたような記憶があるが、最近はそれもめっきり減った。でも、この時期にちょっと立ち止まって、戦争に命を捧げた人たちのことを考えるのは無駄なことではないだろう。
政治の世界では、8月15日が近づくと決まって話題になることがある。それは『靖国神社参拝問題』。靖国神社といえば、東京のど真ん中にうっそうと茂る木々に囲まれ、夏の日差しがさんさんと照りつけるときも、清涼感のある、そして荘厳な趣のある神社。戦争で命をなくした人を祀っている神社でもあり、日本国民であるなら、敬意と哀悼の意をもってお参りするべき場所。ここへ、総理大臣などが“公式参拝”、つまり政府の立場として参拝するのは問題だということで、今年は誰が参拝するのか、毎年大騒ぎになるのだ。総理大臣やほかの大臣でも“私人”という立場での参拝なら問題にはならないが、公人か私人かを巡り、各地で裁判にもなるありさま。国のために命を捧げた人への哀悼の気持ちを持つことは、そんなに悪いことなのだろうか・・・。
靖国神社は、明治2年に明治天皇の命により、戊辰戦争でなくなった人たちを祀るために作られた。その後の国内外の戦乱で国のために殉じた人たち計250万人が祀られている。多くは一般の戦没者だが、この中に第二次世界大戦での「A級戦犯」と呼ばれる東条英機元総理など14人が含まれていることから、この戦争で多大な被害を受けたと言っている近隣諸国(主に中国や韓国)が、日本の政府要人の参拝を認めないのだ。当然、日本の国内にも、政府の“公人”としての参拝を認めない人たちがいるからこそ、毎年毎年、懲りもせずに話題になる。戦争犯罪者である「A級戦犯」を合祀、つまり“神様”として祀っている靖国神社への参拝が問題だということと、日本国憲法の「政教分離」に反するという理由からだ。
そもそも、戦争に勝った国が負けた国を一方的に裁いた「東京裁判」そのものが正当な裁判であったかという問題は、未だクリアになっていない。その裁判で一方的に「A級戦犯」の烙印を押されたのが、東条元総理以下14人の人々だ。「A級戦犯」を祀っていることを日本が問題視するということは、東京裁判やA級戦犯を認めることにもなってしまう。
憲法第20条によれば、国はいかなる宗教的活動も許されないので、政府の立場の人間が“公人”として参拝することは憲法違反であるという。では、その“公人”と“私人”との区別は何かといえば、公用車を使ったか、玉ぐし料は公費で出したか、記帳するのに肩書きをつけたか・・・などが判断基準だそうだ。しかし、靖国神社参拝は問題になるのに、総理大臣のお正月恒例行事である伊勢神宮参拝は、な〜んにも問題にならないのだから、やはりそこには「靖国」にこだわる一部勢力の主張があるのだろう。 国外の批判の声もあって、総理大臣にとっては、靖国神社参拝をどうするかは大きな問題。しかし、その時々で国のあり方は違っても、国のために命を捧げて戦った人たちの犠牲の上に、今の平和の時代があるということを改めて考える機会を持つことは、そんなに悪いこととは思えない。ましてや国の権力者たちには、1年に一度でもそんな気持ちになってもらったほうがいいのではないだろうか。 |