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雅子さまが受けられた「人格否定」のお苦しみ、日本の女性が一生涯に産む子供の数が1.29人まで下がったという事実―どちらも現代を象徴する出来事として、問題の根は同じところにある。
少子化となって、誰がどう困るのか?日本の国力が下がる、社会保障制度の限界がやってくる・・・などということがよくいわれる。しかし、多くの女性たちは、「それは困ったことだから、子供をたくさん産もう」などとは思わない。"絶対に"といってもいいかもしれない。子供を持つか持たないか、何人産むかは、個人の選択の自由の域を越えることはないからである。
究極的な少子化対策は、女性に対して生まれたときから、「女は子供を産むために生まれてきたのですよ」と教え込む以外にないと私は思う。女性から人生の選択を奪い、学業や就業よりも、子供をできるだけたくさん産むことが役割であると徹底させる。そんな前近代的な女性の生き方に戻せば、出生率も上がるだろう。
しかし少子化は別の見方をすれば、女性の人生の選択が増えたということであり、それだけ社会は平和で豊かになったということの表れでもあるのだ。子供を産むことは女性にしかできないことだが、それによってのみではなく、自己実現や自己の存在意義を認識する機会があるというのは、豊かな社会の表れでもあると思うのだ。
不妊治療や出産時の財政的支援、児童手当の更なる拡充など、簡単にできるはずの少子化対策ですら、日本はやっていないことも事実であり、それは早急に検討すべきことだ。しかし、その前に少子化となって何が問題なのかを、もう一度整理すべきではないだろうか。
雅子さまは、雅子さまであるからこそ皇太子妃として迎えられたはずである。男子を産むことが絶対的条件という考え方は、雅子さまのみならず日本女性の生き方を縛ることにならないだろうか。
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