最終更新日 2004年5月6日
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「食卓の記憶」13 鳩山由紀夫氏
(「週刊文春」2004年4月1日号)

『凍りついた瞬間』

 私、姉、弟の兄弟三人とも、子供のころ小児喘息を患っていたので、母は食べるものには随分と慎重でした。終戦直後の時代ですから、食生活も豊かではなかった中で、子供にとっての楽しみは近所に売りに来るアイスキャンディー。それも「ばい菌があるからダメ」と言われ、食べさせてもらえなかったんです。生ものも殆ど食べることはなく、私たち兄弟にとって、寿司といえばいなり寿司とのり巻き。今となっては、どこまで喘息と関係があるのかわかりませんけれど。
 母の作る料理はとても質素で、肉料理は少なく、ステーキもほとんど食べたことがなかったのです。その中で我が家で豪華だと言われていたものは、トマトやピーマンの肉詰め。“超豪華”となると、ボルシチでした。
 それがこのボルシチ、普通のとずいぶん違うのです。普通はビーツベースだと思うのですが、我が家のはホワイトソース。肉も塊ではなく、ロールキャベツになって入っていたのです。ならば、ロールキャベツといってしまえばいいのですが、他にジャガイモ、にんじん、玉ねぎが入っていて、我が家ではこれをボルシチと言って食べていました。祖父・一郎との縁で、政治家になってからロシアに行く機会がありましたが、その時に食べたものとはだいぶ違ったのでびっくりしました。でも、この我が家のボルシチも、これはこれで美味しく、兄弟三人とも大好物でした。当時は、ボルシチなど他で食べる機会はなかったですから、味が多少違っても、誰も気づかなかったのだと思います。
 小学校三年生の時に、祖父母の住む音羽の家に引越し、祖父が亡くなるまでの三年間は一緒に食卓を囲みました。
 あるとき、弟と私が、食事中に、何の話題か忘れましたが、キャーキャー笑っていたら、祖父が突然、「何がおかしい!」と怒りだしたのです。別に祖父のことを笑っていたわけではないのに、弟と私はその瞬間凍りついたようになって、それ以来、祖父と一緒の食卓では、話したり笑ったりすることもなく、ただ黙々と食べるというような雰囲気で、『団欒』というには程遠いものでした。当時、私は人を笑わせるのが“趣味”で、冗談ばかり言っていて、食事中も相手を噴出させることを楽しみとしていたのですが、もちろん、こういうことは一切できませんでした。晩年の祖父は、体調が悪かったせいか、情緒不安定になっていたので、祖父の体調や気分には周囲も相当気を遣っていたのです。ただ、食卓というものは、こういうものだという意識が身についているせいか、祖父が亡くなった後も、今の自分の家庭でも、食事中は比較的静か。当然、テレビなど、つけません。
   (取材・構成  細川珠生)


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