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勝負の世界は厳しいーそんな感想をもった人も多かったのではないかと思う。アテネ五輪女子マラソンの日本代表選手に、前回の五輪金メダリストで世界記録保持者でもあったQちゃんこと、高橋尚子選手が選ばれなかった。
三十一歳という年齢も感じさせないほどの実力は誰もが認める選手であったのに、日本の代表ではないとは。女子マラソンに大きな期待を寄せる日本国民には、納得し難いものがあった。サッカーの予選にせよ、一戦でも負けたら次はない、そんな勝負の厳しさを感じたのと同時に、敗れても“恨みっこなし”の表情には、勝負の世界のさわやかささえ感じられた。
それと比べると政治の世界のいい加減さがより浮き彫りになってくる。高橋選手が選ばれなかったという報を聞いての、小泉首相の「代表枠をもう一人増やせないの?」というコメントがすべてを物語っているように、政治は自分たちに都合のいいように制度を作ったり運用したりしているのだ。
例えば、衆議院選挙の比例代表での復活当選は、この代表選考の厳しさを考えると、いい加減さが際立つ。そもそも“保険”を掛けるような選挙区と比例代表の重複立候補自体が、政治家のご都合主義そのもの。選挙では勝つか負けるか、二つに一つしかないはずだ。負けても復活するとは、Qちゃんに恥ずかしくないのだろうか。
議員年金制度も、掛け金が足りないからと、国庫負担をどんどん増やす。それに引き換え、国民の公的年金の財源が不足する場合は、保険者である国民の保険料負担を増やす。公設秘書への親族の採用も、その理由を「財政上のやりくり」と言い切る議員までいる始末だ。
自分たちがいかに有利になるかということばかり考え、そのためなら制度も変える。そんな政治だから国民に夢を与えられないのだ。今回の代表選考が政治に与えた教訓は大きかったはずだが、果たしてそのことに、当事者たちは気づいているのだろうか。
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