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最近の医療技術によって、人間が望めば、相当のことが可能になる、そんな時代を迎えているのでは、と思うことが多くなった。子宮のない人でも自分の子供を授かることができ、男女の産み分けも、100%確実な方法があることもわかった。人間を幸せにすることができるのは、一方でこれらの医療技術の進歩であることも事実だろう。しかし、もう一方では、技術にも勝る人間の倫理観や理性こそが、人間を幸せにするということも言えるのではないだろうか。
私自身、長年不妊治療を受けてきた経験からも、子供を授かることが何にも代えがたい大きな夢であることも十分理解できる。子供ができるためなら何でもしたい。それが素直な気持ちであったし、高度な医療技術の恩恵にあずかれば、夢が現実となる可能性が高くなることもよくわかっていた。
しかし、どこまで技術に頼っていいのか、その葛藤は常に私の中に存在した。それは、どんなに高度な技術に助けられても、最後は神にその判断を委ねるしかないというのが現実だからだ。神が私に与えられる道を、私は懸命に生きていこう、その運命を受け入れる覚悟をもつことが、この経験を通じて得た大きな教訓だったと思っている。
技術は人間の力により生み出されるものである。それ自体が社会に恩恵をもたらす意味を否定しない。しかし、人間の力は、何にも勝るとは限らない。またその根底にある人間の欲を追求し過ぎれば、必ず世の中のバランスは崩れる。人間の欲は、人間のものでしかないからだ。
神は自然界の一部分として人間を造られた。自然の摂理や運命に逆らうことは、人間の傲慢さとして許されるものではないのだ。人間は、一生の中で、受け入れ難い運命を受け入れることで、理性や倫理観を高めていく。そのことのほうが、よほど自分自身を幸せにすることができるのではないだろうか。
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