最終更新日 2004年2月24日
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「食卓の記憶」(4) 岡田克也氏
(「週刊文春」2004年1月29日号)

『ターンテーブル』

 昨年秋の総選挙のあと、今年九十五歳を迎える祖母の家を訪ねました。柿がたくさん取れたというので、バケツ一杯ほどの柿をもらってきたのですが、この柿は、売り物のような立派なものではないけれど、小さくて中が黒く、種もあって、子供のころに食べた懐かしい味がするんです。祖母の家の柿をもらってきたのは二十年振りぐらいでしたが、柿は好物で、よく食べます。干し柿や干し柿の入ったなますなども大好きです。
 この祖母の家の懐かしい柿を味わいながら、ふと、私が小学生の頃、年に一、二回、家族そろって外食をしたことを思い出しました。 
当時、父は仕事が大変忙しく、父の顔を見るのも月に数回。一緒に食事をすることはほとんどありませんでした。それが、年に一、二回、家族五人そろって中華料理を食べに出かけることがあったのです。威厳のあった父とは少し緊張しながら、でもめったにない機会だったのでとても嬉しかったことを覚えています。私は酢豚が好きで、あとは春巻きやシュウマイ、八宝菜など、ごく普通のメニューでしたが、私の住んでいた四日市(三重県)は、家族で食事をするというような“シャレた”習慣もなかったので、外食するといえば中華料理店。畳の部屋にターンテーブルがおかれていて、最初はこれが珍しく、兄と弟の三人でとても喜んだのを覚えています。今からは想像できませんが、当時はこんなささやかなことが家族の楽しみだったのです。
 私は、三人兄弟の真ん中なので、兄弟関係は割と淡々としていましたが、負けず嫌いの性格は、この兄弟関係の中で作られたような気がします。
今、自分の家庭では、子供が中・高校生になったので、家族五人が揃って食事をするという機会はほとんどなくなりました。何か父親と一緒に食事をするというのは、あまり“格好よくないこと”と思っているのか、そういう年頃なのか・・・。
普段、料理はまったくしません。先日も、ご飯と豆乳を煮立てておじやみたいなものを作って子供たちに出したら、「絶対食べない」と。
 ただ、高校一年のときに、大阪で父と二人で暮らしていたのですが、このときは父と交代で食事を作っていました。キャベツとハムをバター炒めすることしかできませんでしたけど。
 父と暮らしたこの一年間は本当に貴重な時期でした。当時、父は事業拡大のために大阪にいたのですが 、直接仕事のことを聞くというより、電話での受け答えなどを横で聞いていると、かなり苦労をしている様子は感じていたのです。今、自分は企業経営ではなく、政治家という別の道を進みましたが、企業経営の厳しさや決断力の大切さというのを、このとき父から学んだような気がします。      
 (取材・構成  細川珠生)


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