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「三位一体」とは、本来キリスト教で、「父(神)と子(キリスト)と聖霊」とが一体であるという意味を指す。キリスト教信者ではない方には、お分かりいただけないかもしれないが、クリスチャンである私自身にとっては大変重い言葉である。
本来の意味をどれだけ理解されてのことかわからないが、国と地方の財源問題を「三位一体」の改革と位置づけたことは、補助金・地方交付税の改革、税財源移譲を、順番に行うのではなく、三つを同時に行うという意味であり、その重要性が理解されているのだと当初は大きな期待を持った。当初というのは、「三位一体」と言われ始めた去年の今ごろである。
しかし、一年も議論をしていると、本来の目的が大きくねじ曲げられるのが政治の現実なのか、随分と違う方向に進んでいってしまい無念でならない。この「三位一体」の改革は財政再建のために行うことのように言われているが、国と地方の財源構造の改善は、地方分権を進めるためにやらなくてはならないことであり、それが財政再建につながるというように考えなくてはならないのだ。中央集権の現在の国家体制は、財政的、人的、時間的に多くの無駄を生んでいる。補助金行政は、使途や事業を拘束し、そして地方の自主性、自立性も阻む。権限と財源を一緒に地方へ移譲すること、つまり真の「地方分権」なくして財政再建はあり得ない。しかし今回の「三位一体」の改革は、全体の財源を削ることが目的のようだった。これは本来の目的から逸脱している。
さらに、地方の自主財源を増やし、地域主権を進めることは、国が地方の政治や行政に口出しすることが不可能となる。だからこそ、口出しをしたい政治家や官僚は、この改革を一歩も二歩も後退させようとするのだ。彼らの意見を聞いていれば、「三位一体」の改革は中途半端なものしかできない。重要なのは、小泉政権が地方分権を本気でやろうという意思があるかどうかである。
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