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大学を卒業後、普通に社会人になっていたら、私はこの春、社会人十三年目を迎える。思えば、湾岸戦争は大学を卒業する直前に起こった。海外へ行くはずだった卒業旅行も、国内への変更を余儀なくされ、米国留学を控えた私自身にも激震が走った。あれから十二年。日本はバブル絶頂から急降下し、いまや不況のどん底。多くの友人たちは結婚し、母親となった。この十二年間は、あっという間のようで、しかし、私たちの世代にとって、ありとあらゆることが大きく変わった十二年でもあった。
しかし、一向に変わらないのが日本の安全保障である。イラク攻撃の是非をめぐって、国際社会が真剣な議論をしているときに、日本は相変わらず蚊帳の外。国連での演説で何とか米国支持を表明したものの、それが国際社会の中でどれだけの「重み」を持つのだろうか。イラク攻撃だけではない。北朝鮮の「テポドン2号」の標的は日本と言われながらも、さしたる対策の一端も目にすることのない国内状況は異常ともいえる。
政治家は「北朝鮮の核問題を考えれば、米国を支持せざるを得ない」と言う。軍事力を持たない日本は、米国の判断が正しいか否かにかかわらず、同盟国である「アメリカさまさま」に生きていかなければならないのが現実だ。しかし、いつまでも米国頼りでいることが、許されるのだろうか。本来、同盟国であるならば、一方の暴走を食い止める責任だってあるはずだ。しかし、今の日本にその役割りを担えるだけの地位はない。
外交は水面下での交渉を主とすることから、国民に知らされていることがすべてではない。しかし政治の場での議論に、この十二年間、どれだけの進歩があったのだろうか。「(日本は)お金だけしか出さないで・・・」という白い目を向けられる体験をした日本人留学生は、私だけではないはずだ。議論をタブー視せずに、ありとあらゆる可能性を議論することこそが政治の責任。責任放棄に躊躇のない政治家に、この国を守ることなど、できない。
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