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子供のころの悲しかった思い出といえば、大好きだったキャンディーズが引退したことだ。大ファンだった私は、歌と振りを全曲覚え、友達とよく歌い、踊った。突然の引退に、子供ながらに涙した記憶があるが、浮き沈みの激しい芸能界で、潔く普通の女の子≠ノ転進した彼女たちは、あのとき、人気絶頂で引退するということの、鑑(かがみ)のような存在だ。
私が取材する政治の世界は、人気絶頂で引退する人などほとんどいない。命続く限り、政治家でありたいと思う人がほとんどだ。逮捕されても身を引かない人もあるほどだから、一度政治家になってしまえば、政治家であり続けるということが目的化してしまっているようなものだ。政治家の保身≠フ姿は、国民の目には、醜く、そして腹立たしく映る。
政治に絶望することの多い私も、三重県の北川正恭知事の三期目への不出馬表明には、久しぶりの心地よさを覚えた。私は以前から、自治体の首長の任期は、その地域での地位が絶対的であることから、どんなに長くても三期十二年までと思ってきた。全力で首長職に打ち込み、改革を進めてきたら、八年でも十分だと思う。八年かかってもできないことは、あと四年あってもできないだろう。
そして何より、長く権力の座にいることによる、人間関係の問題や、組織内部の士気を考えると、同じ体制が十年以上続くというのは、成果以上に、腐敗を生みやすい。世の中の変化に対応していくためにも、体制の刷新は大きな意味を持つ。
自治体改革のトップランナーとして走り続けてきた北川知事が、二期での知事職からの引退を表明したことは、来春に選挙を控える全国の首長に、少なからず影響を与えているはずだ。北側知事でさえも、長期政権の懸念を感じての引退。「もう引退すればいいのに」と有権者に愛想つかされて辞めるのではなく、惜しまれての引退こそが、トップの、すなわち権力者の取るべき道である。
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