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「地方『首長』の役割」
最近、知事や市長などがメディアに登場する機会が増えた。元国会議員や知名度のある人がその職に就くケースが増えてきたことも、理由の一つだろう。地方の話題は"ローカル"、イコール"マイナー"な話題としか見られていなかったころから取材を続けてきた私としては、「やっと」という思いを抱く。しかしなぜ、知事や市長が注目されるのか、その意味を、きちんと整理しておく必要がある。
国民の政治不信、特に金銭スキャンダルに対する怒りは、年々増大している。しかし、一向に政治腐敗に歯止めがかからない。
それは、国会議員に、権力があり過ぎることに起因していると、私は考えてきた。国会議員の権力、つまり私たちの納める税金の使い道について、国会議員と中央政府に権限があり過ぎるのだ。
終戦直後、日本がどう立ち直っていけばいいかわからない時代に、政治が、あるいは中央政府が権限を持ってきたことには、大きな意味があった。しかし、すでに終戦から五十七年がたった。日本は当時の状況のままだろうか。
「地方分権」とは、国会議員や中央政府に集中してきた権限を、地方自治体に渡すということである。税金の使い道を決める権限なのだから、税金、つまり財源も当然のことながら、渡すことになる。そして地方自治体は、住民から一番近い場所にある公的な機関として、その地域に住む人たちに満足のいく社会を作る責任を負うことになる。個々の自治体だけではどうにもならない課題についてのみ、自治体間の連携や、中央政府によって解決する。
私たちの政治不信を払拭するためには、権限を分散し、私たちに近いところ、つまり目の届く範囲で物事が決まるシステムを作らなければならないのだ。そのために、地方自治体の「長」の果たすべき役割、負う責任は大きい。
今話題の長野県知事選は、そういう態勢作りのための選挙となっているのだろうか。 |
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