| ★国民の“レベル”を問う選挙
あっという間に総選挙となってしまった。年初に、「ここしばらく国政選挙はない予定」などとのん気に構えていた国会議員が多かったことを思い起こせば、選挙態勢も整わないまま選挙戦に突入した人も多いようだ。急ごしらえの選挙を強いられた新人候補も多い。“刺客”としての候補者もその中に含まれる。しかし、どんな状況であれ、私たち国民は、国の進むべき方向について意思表示ができる機会を得たのだから、この機会を有効に使うことこそ、有権者の責務である。報道されることだけに惑わされず、主権者たる国民として、恥のない判断をしなくてはならない。
今回の選挙は、小泉総理の言う、郵政民営化に賛成か、反対か「だけ」を問う選挙だとは思わない。国政選挙である。それだけが有権者の判断基準となってもたらされた結果では、むしろまともな国づくりなどできるはずがない。小泉総理はじめ、自民党執行部は、郵政民営化に賛成であることを条件に“刺客”を選び、反対派の選挙区に送り込んだ。では、その“刺客”の憲法観、安全保障観、日米関係、アジアにおける日本の役割、教育観などで、考えの一致をみたのだろうか。あるいは、“刺客”は、完全に行き詰まっている社会保障政策や税制、拉致問題の解決については、どのような考えを持っているのだろうか。地方分権や財政再建についてはどうだろうか。標準よりはるかに優秀と見受けられる彼らが、まさか憲法を読んだことがないということはないだろうが、彼らの口から一度でも、国の骨格となる考え方を聞いたためしがない。「官から民へ」は、あくまでも手段であり、では、国の役割とは何なのか、官の役割とは何なのか、国政選挙に出るからには、当然、自身の考えを有権者の前に示して欲しい。それが立候補者の使命である。少なくとも私自身は、自分の選挙区の候補者が示すそれらの考えを判断基準とするつもりである。
そもそも、民主主義は多数決原理にのっとっている。国会は全会一致で物事を決める場ではない。あるいは独裁政治を行うための茶番の舞台ではない。政党の決定に反した態度表明を行っても、「非公認」はやりすぎである。また、そこまでするのなら、なぜ2年前の選挙で「郵政民営化の賛成」を踏み絵にしなかったのだろうか。わずか2年足らずで二度も国政選挙を行い、それにかかる費用も計約1500億円といわれている。そのことが既に「無駄遣い」になっているということにならないだろうか。
私は郵政民営化に基本的には賛成である。特に、郵便貯金や簡易保険を原資とする財政投融資のしくみを断ち切ることは、まさに国の使命として行うことであると考えている。道路の問題のように、ずさんな返済のシュミレーションのもと、借りるだけ借りて、道路四公団で40兆円もの負債を平気で抱えても、その政策決定をした人が誰一人として痛みを感じないようなシステムを温存しておくことは、絶対に反対である。一方、郵便局のコンビニ化という発想には賛同しかねる。コンビニなり商店に郵便事業を委託するというようなことであれば、民間活力の利用になるが、「やりすぎ」は明らかな民業圧迫である。
今、政府が進めようとしている郵政民営化政策には、私としては賛成と反対の両方の内容が含まれており、賛否の判断が難しい。しかし、基本的には、民営化に賛成であるので、郵政民営化の問題だけを考えれば、当然、自民党に一票を投じることになる。しかし、私が国政に求めることは、他にもたくさんある。それらについての各党の政策を読み比べ、候補者の人となりについての情報収集をし、これまでの一連の自民党執行部の政治手法を評価した上で、誰に、どの党に投票するか、総合的な判断をしたいと思う。
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