| ★国民の怒りに対して責任を
国民も、我慢の限界―これが、第20回参議院選挙の結果が表している国民の意思ではないだろうか。痛みを伴う改革の"痛み"に我慢の限界が来たのではない。既得権益の死守、つまりわが身の保身だけを考え、国民のための政治をしていない自民党政治に対し、私たち国民はついに我慢の限界に達したのだ。
今回の参議院選挙では、自民党の獲得議席は民主党(50議席)を下回る49議席。改選の現有議席(51議席)を確保できなかったという大惨敗に終わった。非改選議席とあわせても、過半数の121議席には及ばず、115議席にとどまった。今回の改選121議席分だけを考えると、自公の与党系は計60議席、民・共・社・無の野党系は計61議席で、わずか1議席ではあるものの、野党のほうが多い。つまり、それだけ自公政権の政治に対する国民の怒り・不満は大きいということだ。これを、政権はどう考えるのだろうか。
私は、今回の選挙の争点は、「政治の誠実さ」にあったのではないかと思う。年金にせよ、自衛隊の多国籍軍参加にせよ、決定のプロセスに大きな問題があり、国民は単に負担の押し付けや小泉総理の独断に怒りを感じたのではないと思う。負担が大きくなっても、本当に必要なことなら仕方ないと思うぐらいの理解力は、国民にはある。単に、負担は嫌、でも給付は増やしてという身勝手な論理が通るとは、国民だって思っていない。しかし、負担を強いる改革案の前提となる基礎データの公表を意図的に遅らせたり、総理初め、政治家自らの未納問題ですら、制度のせいにするような「不誠実な態度」に、私たち国民生活の様々な制度を作る政治家がこんなことでは困るという怒りが、もう抑えきれなくなったのだ。このところの小泉政治は、あまりにも不誠実。本当に国民に理解をしてもらおうという気があるのかと疑いたい場面が多々あった。
それと比べて、岡田民主党代表の、度を超えた真面目さが、小泉総理の不誠実さと対照的に映ったのではないかと思う。岡田代表は、「そこまで・・・」と思うほど本当に真面目な人で、それはそれで功罪あるだろうが、小泉総理のように「はぐらかす」ということは絶対にしない、そんな印象が広がったのではないだろうか。
私は、最近の世の中を見ていると、例えば、プロ野球界も球団の合併問題から一リーグ制への移行問題など、大きな転換期に差し掛かっている業界が多いと感じる。あるいは、教育でも福祉でも、ほとんど全ての分野で、今までの制度や考え方が、現実の状態に追いつかなくなっている。思い切った発想の転換、そのための人心一新が必要な時に、それにいち早く取り組んだ業界や企業は、復活をとげていることで、"二極化"現象が生まれているのではないかと思うのだ。
政治の世界は、もう何年も前から、「政権交代こそが政治改革」といわれながら、国民も安易な気持ちで"小泉フィーバー"に躍り、結果として、根本的な改革のチャンスを何年も遅らせることになってしまった。しかし、国民はやっと、本当に、やっと、ことの本質に気づいたのではないかと思う。一つの政党が何十年も権力の座にいる、それ自体が問題で、やはり政権交代可能な政治状況は、私たち国民が、常に冷静に、そして真剣に政治を見つめ、作り上げていかなければいけないのである。
小泉総理は退陣の意思はないようだが、「小泉政治の審判を問う選挙」と自ら掲げた選挙で惨敗したことに、何の責任も取らなくていいのだろうか。
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