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★ 親や先生の刑罰はないのか
長崎の種元駿君殺害の犯人が12歳の中学一年生とわかり、日本中が震撼した。私も何か、胸を締め付けられるような思いである。ついこの間まで小学生だった男の子が、4歳のかわいい坊やを、20数メートルの屋上から突き落とすという行為は、想像するのも恐ろしい。この少年は、思春期に見られるような混乱にあったのではという専門家の見解もあるが、私は、20数メートルのところから人間を突き落としたらどうなるのかが判断できない幼児性も感じる。それはどちらが当てはまるのか、あるいは、全く別の要因があるのかわからないが、それにしてもこの少年の「異常さ」に、今まで周囲の人は誰も気づかなかったのだろうかという疑問が、当初から私の頭から離れないのだ。
少年犯罪が増えているという。また低年齢化、残虐化を指摘する人は多いが、その原因を、単なる社会の混乱として片付けていいのだろうかと思うのだ。大人ならまだしも、中学生は、まだしっかりと親や先生はじめ、大人の手が必要な年齢である。結婚だって認められない年齢ということは、一人の人格としては、まだ成長途中にあるということであり、自由放任教育などということは、私はあってはならないと思うのだ。
この少年が通う学校の先生の会見でも、成績はクラスでもトップクラス、特に変わった態度はなかったというような、ごく普通の生徒であったことを強調していたが、こんなにも残虐な行為を行う子供なら、事前に、あるいは、日常から何らかの異常性があったと考えるのが普通ではないだろうか。子供はその異常性を抑えることが出来るほど、自己抑制は働かないと私は思う。
また、今年の春から、事件が起きた現場付近では、幼児の連れ去りやいたずらを与える事件が何件かおきていたようだが、事態を軽視していた警察の責任も問わなければならない。つまり、私はこの事件は、突発的におきたこととは、どうしても思えないのである。犯人の少年にも、何らかの兆候があったと思うし、それに気づかない大人の責任が、子供の異常さに歯止めを掛けさせられず、大きな悲劇を生む結果になったと私は思わずにはいられないのだ。
少年法を改正して、刑罰を科す年齢を下げるのもいいが、一番重要なのは、子供に対する親や先生の責任感を自覚させることではないだろうか。この12歳の少年が逮捕できないのなら、監督責任として、親や先生が何らかの刑罰を受けるべきなのではないかと、私は思う。
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